忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2025/04/20 13:54 |
イベント報告
「戦争が残したもの-東京大空襲と現在」という企画に行ってきたので報告を記す。(以下の報告は記入者のものであって和・ピースリングの統一したものではありません)

タイトル: 戦争が残したもの-東京大空襲と現在
日時: 2007/6/28 17:15-
場所: 宮城教育大学(宮城県)
主催: 宮城教育大学職員組合

 企画の流れは、主催者挨拶、映像資料の鑑賞、東京大空襲訴訟原告団の星野ひろしさんからの話、宮城在住の東京大空襲訴訟原告の方からの話、そして質疑応答。
 映像資料は何回か見たが、やはり映像があるとわかりやすく、その後の星野さんの話も理解しやすい。同様の企画でも使った方がいいだろう。質疑応答の内容は以下の通りで応答した人は星野ひろしさん。参加者が少数だったが質問が多く出たことは良かったと思う。

Q. 重慶爆撃について詳しく聞きたい。
A. スペインでのゲルニカの爆撃は、当時のドイツ政府は無差別爆撃だとは認めなかった。世界に先駆けての無差別爆撃は重慶への爆撃。アメリカは当時これに抗議したが、一方で爆撃に適した爆弾の開発をすすめた。重慶には当時、欧米から義勇軍がいた。それに参加していたアメリカ軍人が後に日本への空襲を行った、といったことがあった。

Q. 防火訓練の様子は。
A. 空襲があったら防火せよという命令があったが、3/10を境に逃げなければならないという認識が生まれた。

Q. 「民間人の戦争の被害は受忍の範囲内」という受忍論は日本以外でも採られているのか。またそれへの対応は。
A. 先進国で受忍論を主張しているのは日本だけ。戦時中には民間への補償があったが、戦後、それは復活しなかった。それは立法不作為立法不作為(国が法律を制定すべきところをその義務を怠り、そのために国民に損害を与えたこと)にあたることを主張している。

Q. 空襲を記録する運動から、提訴への転換のきっかけは何だったか
A. 60年経って人権意識が高まった。空襲死亡者の「氏名記録」の一点で運動を行って、その中の有志で遺族会を作った。そこでの議論で、なぜ国は動かないのかという疑問が出た。それは、民間犠牲者を戦争犠牲者と認めていないからではないか。

(記入者 とり)
PR

2007/06/29 00:00 | 未選択

<<今年の10.21浅草ウォーク | HOME | このBlogは>>
忍者ブログ[PR]